「嘘をついていました、ごめんなさい」が言えない人達

嘘をついていました、ごめんなさい」が言えない人達

日大アメフトの前監督、コーチの会見を観ていて、あまりにも見苦しい。でも、ここからボクらは学ぶことができる。謝罪会見なのに、誰の目からも、嘘ついているのがすぐに分かってしまう。どんなに取り繕えると思っても、その会見の目的がうっすらと見えるものなのである。自己保身。

噓=口が虚しい 虚しい=からっぽだ。内容がない。

幼い子が明らかに嘘をついているのに、「ボク、嘘ついていないよー」と言い張るのはかわいいなーと思えることもある。だが、いい大人が、誰の目から見ても「嘘」と思えることを言い続ける姿ほど見苦しいものはない。

子どもは素直に「嘘をついていました、ごめんなさい」が言えるのに、「嘘をついていました、ごめんなさい」といえない大人が多い。自分の非を認めることができない。

なせ、嘘をついてしまうのか?

自己保身、自分を守ること。もちろん、自分以外でも、家族であったり、組織であったりもする。今まで積み上げたものを失うことは怖いことなのである。自戒の念を込めて言うと「真実を言わないための嘘」もある。

真実を言わないこと=嘘を重ねる

真実を言わないために、もっともらしい言葉を埋める作業をする。それが嘘(中身のない言葉)になる。その場はやり過ごせたように見えても、だんだん、矛盾が生じてくる。

他人は騙せても、自分は騙せない

他人は騙せるかもしれない。心というものは外からは見えないものであるからである。でも、自分自身は騙せない。自分を偽ることは自分を傷つけることに他ならない。すべては、内から崩壊していくのである。

そうならないためには、常に正直でいること

正直者が馬鹿を見るという言葉があるが、常に正直でいることができなければ、ある時だけ、ある場面だけ正直でいることはできない。一度、嘘をついてしまえば、その嘘は次の嘘を生み出す。もうすでに嘘をついている場合はどうするか・・・・?誰でも嘘の一つ二つ、人には言えないことがあるはずだ。

 

 

でも、これからでも遅くはない。目指すは、自分の心、気持ちに正直でいること。簡単ではないが、心と言葉と行動を一致させて生きること。

 

心と言葉と行動を一致させて生きること

たとえ守るものがあっても、「嘘をついていました、ごめんなさい」を言う覚悟を常に持っていること。アメフト監督、コーチの会見は、やってしまったことに対する謝罪だが、真実を言えないがために、嘘を重ねてしまう。ように見える。

「○○のために、本当のことが言えない」
○○が国のため、ある人を守るためであれば・・・・

「本当のことが言えません。ごめんなさい」

これが最低限、自分を偽らずに相手に説明する手段なのかもしれない。

「本当のことが言えません。ごめんなさい」

 

まとめ

ボクは、日大アメフトの反則タックルに関しての監督、コーチの会見を見ていて、「おかしいだろう」と思うと同時に、もし、自分がこの監督だったら、このコーチだったら、どう発言するかを考えてみた。これが「学び」。大事なことは、謝罪に自己保身を入れ込んだらアウト。真実を感情とともに語ること。悪者になっても良いのだ。よりよく生きようと思っても、何が起こるかわからない、思いもよらない罪を背負うこともあるかもしれない。そんな時こそ、正直でありたい。

こんな時に常に、頭をよぎるのは、『レ・ミゼラブル

昔も、今も、「正しく生きる」ことは難しい。

 

 

 

以上、しまパパのブロクでした。

 

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