「漱石さん、他人にお任せの人生」だった!

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自分に誠実でないものは 決して他人に誠実であり得ない

夏目漱石『行人』

 

 

 

 

 

2018年1月23日(火)、歌舞伎町へ封筒の納品の道すがら、漱石山房記念館へ立ち寄りました。前日22日は、南岸低気圧の影響で、大雪が降りました。この記念館は、漱石が2017年、生誕150年ということで建てられたものです。以前から、来訪したいと思っていましたがついに念願がかないました。

2月21日は夏目漱石さんの日

漱石さん、見学して新たな発見がありました。

「下戸で大の甘党であったこと」

「子どもが、女5人、男2人いたこと」※1911年 五女・雛子、原因不明の突然死

そして、何よりも

「漱石さん、他人にお任せの人生」だったことです!

漱石さんの

私の個人主義

では、他人の人生を生きてはならない、他者依存を否定しています。ところが、漱石さんの人生は、意外と人に勧められて教師をしたり、国から要請されイギリス留学したりしているんです。

小説を書くきっかけも、正岡子規に勧められて・・・

ところが、明らかに、漱石自身選んで自己決定した、ターニングポイントがあります。
ボクが思うに、
東京帝国大学の教授を辞して、考えられない、朝日新聞社に入社。(漱石40歳)

そして、1911年の文部省(現・文部科学省)による文学博士の学位記の証書の辞退。

漱石さんが40歳(1907年)から、牛込区早稲田南町(漱石山房)に転居。

ここから、本格的に自己主体で生きる漱石が目に浮かびます。
私の個人主義はその最たるものですが、漱石さんが出した答えなのかもしれません。
だって、もともとは、

「漱石さん、他人にお任せの人生」だった!

 

 

 

 

 

漱石さんの「私の個人主義」はボクのバイブルのような存在ですが、「他者依存から自己本位」はとっても大事な考え方。

「他人や世間の価値観ではなく、自分の人生を生きる」

漱石さんには足元は及びませんが・・・

「ようやく、ボク自身も漱石さんが40歳で得た、境涯に追いついたのかもしれません」

 

 

 

 

そくてん‐きょし【則天去私】 《(のっと)りを去るの意》夏目漱石が晩年に文学・人生の理想とした境地。 自我の超克を自然の道理に従って生きることに求めようとしたもの。 漱石自身の造語。

「則天去私」までの道のりはまだ遠いいかもしれませんが、人生の理想の1つの形だと・・・

漱石山房記念館

漱石に関連する書籍が、集められています。貸し出しはないのですが、また、来訪して身をゆだねてみようと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

則天去私

 

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