「考え、議論する道徳」にはリアリティが必要!

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小学校では、平成30年度、中学校では、平成31年度から、道徳が特別の教科として、学習指導要領に位置づけられました。

平成27年3月 小・中学校学習指導要領の一部改訂等(小学校は平成30年度、中学校は平成31年度より全面実施) 道徳の時間を「特別の教科 道徳」として位置付け、多様で効果的な道徳教育の指導方法へと改善、 検定教科書を導入、一人一人のよさを伸ばし、成長を促すための評価を充実

先日、青少年育成委員会で地区の小学校の校長先生より「学校・家庭・地域で育む子供の心~道徳教育の充実を目指して~」というテーマでお話を伺いました。

道徳が教科化になること、それは「考え、議論する道徳」を意味するもので、目指すものは「自己の生き方を考え、主体的な判断のもとに行動し、 自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養う」ということだそうです。

1、なぜ教科化したのか?

2、「考え、議論する道徳」とは?

3、児童、生徒に求めるだけで良いのか?

4、道徳教育アーカイブを観て

5、事実から学ぶ方法

 

1、なぜ、特別の教科という位置づけにしたのか?

これは、大津市中2いじめ自殺事件(おおつしちゅう2いじめじさつじけん)が大きなきっかけであるとしています。2011年10月11日に滋賀県大津市内の中学校の当時2年生の男子生徒がいじめを苦に自宅で自殺するに至った事件。翌年にいじめ防止対策推進法が国会で可決。

こと道徳教育の重要性がクローズアップされ、道徳の特別の教科化が決められていきました。

小中学校の道徳の時間はこれまで教科外の活動という位置付けでしたが、文部科学省は平成27年3月、学校教育法の施行規則を改正し、道徳を「特別の教科」に“格上げ”しました。

2、「考え、議論する道徳」とは?

文科省のホームページでは、

というパブリックコメントを出しています。簡単に言えば、当事者意識を持って、自分ならどうするかを考え、議論する取り組みと言えます。それまでは、いじめはいけない、命を大切にするといった頭での理解、概念を学ぶものであったのに対して、自分なら・・・という視点を取り入れたところだと思います。

より具体的に、説明したものは、下記の資料ですが

いじめが一つのテーマになっています。いじめに特化しているのではという疑問に対して、

これまでも道徳の時間の中では、いじめに関することが数多く含まれていた。 善悪の判断・自立・自由と責任、正直・誠実、個性の伸長、希望と勇気・努力と強い意志、親切・思いやり、友情・信頼、公平・公正・社 会正義、よりよい学校生活・集団生活の充実、国際理解・国際親善、生命の尊さ・・・

このように説明しています。また、現実のいじめに対応できなかった反省を踏まえて・・・道徳の質的転換を図るとしています。

 

具体的には

に文科省として資料の提供を行っています。

文部科学省では、「特別の教科 道徳」の趣旨や理念の実現を図るため、「考え、議論する道徳」の授業づくりの参考となる映像資料等を提供し、学校の取組を全力で支援します。

3、児童、生徒に求めるだけで良いのか?

僕はここで少し伺った見方をします。いじめに関するアンケート調査やカウンセラーを派遣したりと学校は様々な取り組みをしていますが、児童、生徒はうまく向き合って取り組んでいるでしょうか?これはあくまでも聴いたところによりますが、アンケートに余計なことを書くと面倒なことになりそうだから(学校側の追及が始まる)適当に答えているといったケースや、設問があっていないケースもあるとのことです。

これでいじめが発見できると思いたいのですが難しいように思っています。
形骸化してきているのではとも思っています。これをやって、いじめという報告がなければひとまずは、この学校にはいじめの兆候はない、また、その取り組みを続けることでいじめの防止につながっているという確証を得られるので学校にとっては免罪符のようなものです。

もう一つ、大津市中2いじめ自殺事件(おおつしちゅう2いじめじさつじけん)では、学校のいじめの隠ぺい体質が問題視されました。これは残念ながらあると思っています。そして、なかなか改善できないように思っています。どうしても、学校には学校独自の社会があるので、外部の空気を入れることにはかなり慎重であることは間違いありません。この学校の体質を変えていけるかも重要なファクターだと思います。

道徳教育の取り組みを学校が図っていく上で、学校という組織もより道徳的であるべきだと考えます。

4、道徳教育アーカイブを観て

「道徳教育アーカイブ」専用サイトから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この中で、いじめ問題に関する授業実践の「授業映像」を観ました。

教材は「卒業文集最後の二行(私たちの道徳)」
中学3年生を対象としています。

これを観た感想ですが、ちょっと「いじめ問題」をオブラートでくるんだ印象を受けました。

主人公が小学生の話。

主人公は、T子の答案をカンニングして100点を取り、98点をとったT子が、カンニングしたんだろうという悪態をクラスメートから受ける。本当は主人公の方がカンニングをしたのだが・・・。
※カンニングした方が100点というのは・・・不思議であるが・・※
T子は、お母さんがいない、二人の弟の面倒を見ている、貧しいことから、汚い身なりということもあり、声を上げることができない。

この主人公は、過去のことではあるが今でも悔いていると述べている。

それは、卒業文集の最後の2行

「・・・・今、私が一番欲しいのは母でもなく、本当のお友達です。そしてきれいなお洋服です。」

これに対して、その時のあなたならどうするか?

これをクラスの中で議論しながら自分の問題として考えていく映像。

僕が思ったのは、小学生の時だったら、相手を観た目で見たり、みんなと一緒にからかったり、カンニングをしたのが自分だったとしても名のることなんてしないと・・・・その題材を、中学生に提示するのは、どうなのか?

映像の中学3年生は、その時の自分だったらということで、やっぱり黙っている、正直に言う、謝るなどコメントしている。小学生の自分ではない、中学3年生の自分の意見として・・・・

授業映像としては、まとまった感じで悪くはないのですが、何かが欠けています。

 

5、事実から学ぶ方法

何が欠けているのかというと、リアリティ(現実感、真実性、迫真性)がないこと。

僕は、いじめの問題なら直接いじめ問題になったものにぶつかる方がいいと思っています。現実感が必要だと。

ネットの資料は、真偽もあり情報の正確さに欠けてしまのですが、2011年の大津市中2いじめ自殺事件は、沢山の資料、コメントが調べると出てきます。不安であれば、新聞記事になったものでも膨大な量になります。

いじめ問題が国としても本気で向き合わなければならないという起因となった事件。これをテーマに取り上げないで、いじめ問題を語ることはできないと思っています。

そこには、耳や目をふさぎたくなるような現実もあり、どうして?どうして?が続くと思います。
いじめというものがどんなものなのか?

僕は、現実、事実から学ぶことが重要なのだと思っています。

 

あとがき

この大津のいじめの現実を知った、当時、中学2年生だった少女が作った歌があります。

彼女の作る歌は、リアリティがあって、伝えたい思いがあふれていると思っています。
でも、これは現実と向き合うことで初めて生まれるものだとも思っています。

道徳が教科化されて、教科書ができ、そこには、道徳という教科で考え、議論させる題材があると思います。でも、児童、生徒が、本当に考えたい、議論したいと思うような題材でなければ、意味を持たないとも思っています。やはり、リアリティが必要です。

「考え、議論する道徳」にはリアリティが必要!

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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