ヤマアラシのジレンマで既読無視の考察

グループラインで既読しながらも、リアクション出来ない自分を考えた。

皆さんは、「ヤマアラシのジレンマ」という話を知っているだろうか?心理学者のフロイトを調べると出てくるのだが、これは、親しくなりすぎて傷つけあってしまうようなこともさす。

たまたま、ボクの知人と話すことがあって、彼は博識で、探求心の塊のような人。哲学や心理学について話をしたり、考えたりすることはめったにないのだが、彼とはそんな話が出来る。僕にとっては得難い人物。A氏と呼ぼう。

A氏とは、政治の話もするのだけれど、フロイトの話になって、自分(私)がなかなか人間関係でものすごく他人と深く親しくなれないということをちょっと分析してみた。これはあくまでも学術的に正確かどうかは問わないでいただけたら幸いです。

私には、知り合ってすぐに、あだ名や通称で呼び合うような関係性を持つ友達も知り合いもいない。どんなに親しくなっても、さん付けしたり、君付けしたりという関係性を保っている方が自分には心地よい。逆はあるのだけれど。「呼び捨て、ニックネーム」。でも、相手から言われるのはそんなに嫌じゃない。

そのことをA氏は「ヤマアラシのジレンマ」という話で説明してくれた。ヤマアラシは体が針で覆われていて、寒いとき、お互いの体をくっつけて温まりたいと思うのだが、くっつけば互いの体を傷つけてしまうので、くっつけられない。という話。人間関係も近づけば近づくほど、分かり合える。だが、その分、傷つけ合うリスクも大きくなるというもの。

私に照らせれば、傷つきたくないという思い、傷つけたくないという思いが、自分の好きな人や大切な人ほど出てきて、それが、ある距離を保つ、よそよそしい態度になるのでは・・・ということだ。

冒頭のLINE(スマホアプリ)のグループ、いろいろあるのだが、家族は大丈夫だけど、そのほかのグループライン関しては、ちょっと緊張感がある。グループ内でひと盛り上がりがあり、その盛り上がりに気後れしてしまうと、もう駄目。そのライン内の話題が事務的な事柄ならば良いのだが、感情のやりとり、テンションが高い、熱量が多い状況になると、もうついていけない。その盛り上がりが悪いとか嫌だとかという思いはないし、むしろ、好意的に見ているのだが・・・。

よく考えてみたら、LINEだけじゃないような気がしてきた。いろいろな場面でそんな態度をとってきたのかもしれない。もし、ボクの周り人で、なんか反応が薄いと思われている人がいたら、「ごめんなさい、ボクの病気です」と思ってくださいね!

フロイトは、コンプレックスを様々な場面でパーソナリティーの説明に使っているけど、あまり追及すると病気になるかも・・・

A氏、曰く、「賢者は、親しくなるよりより、礼儀を重んじるんだよ」と言ってくれた。ぼくが賢者であるかどうかは別として・・・

あとがき

ヤマアラシのジレンマ

鋭い針毛を持つヤマアラシは、互いに寄り添い合おうとすると、自分の針毛で相手を傷つけてしまうため、近づけない、というジレンマ。ショーペンハウアーが寓話として用いた表現とされる。

ヤマアラシの群れが寒さに震えていた。
彼らは互いを温め合おうと思い、互いに身を近づける。
けれど、彼らの体には無数の棘がある。
近づけば近づくほど、互いを傷つけてしまうことになる。
それでも離れてしまえば寒くてたまらない。
そのままでいれば、やがて凍え死んでしまう。
そこで彼らは試行錯誤を繰り返す。
近づいたり離れたり、を繰り返す。
そして彼らは、ついに発見する。
互いを傷つけずに温め合うことのできる距離を――

『ヤマアラシのジレンマ』とは「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの欲求によるジレンマ。(フロイト)

 

以上、しまパパのブロクでした。

 

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