子どもに「親なんてものは、罪がないな」と言わせたい^^;

ご訪問ありがとうございます。

今回は「親なんてものは、罪がないな」と言わせたいです。

先日、「平成28年度新宿区地区青少年育成委員会合同研修会・実技研修会」に
参加いたしました。

古典落語「薮入り」から「人に伝える力を学ぶ」
~古典落語より垣間見る、江戸から大正時代の子育て~

講師:落語家 三遊亭 金朝 氏

その時の模様を・・・・

さすがの落語家さん、話がうまい^^;
まくらは、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」。
師匠が学生時代一途に読んだ本だそうです。
音楽家を目指すクリストフとゴットフリート叔父との出会い。

一途に、音楽家としての成功を夢見ている主人公、
周りの人物とは、違った音楽の見方を与える。
※このような大人も必要※という話だったような気もしますが

次に、お子様の話をされて、名前の話、
唱梧(しょうご)というらしい^^;

この梧について、
稲村の火」のモデルとされた
浜口梧陵という人の一文字を入れたとのこと

私自身は始めて知った話なので少し後で調べました。
「稲村の火」ですが、

稲むらの火(いなむらのひ)は、1854年嘉永7年/安政元年)の安政南海地震津波に際しての出来事をもとにした物語。地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神の発揮を説く。小泉八雲英語による作品を、中井常蔵が翻訳・再話したもので、文部省の教材公募に入選し、1937年から10年間、国定国語教科書(国語読本)に掲載された。防災教材として高く評価されている[1]

もとになったのは紀伊国広村(現在の和歌山県有田郡広川町)での出来事で、主人公・五兵衛のモデルは濱口儀兵衛(梧陵)である。

こんな感じで、演目に入る前に、金朝師匠の自己紹介も兼ねた
子どもに関する話題をお聞きしました。

演目の薮入りですが、
いまのように義務教育なんてものがない時代。

子どもを自立させるための方法の一つが
他人に預ける、丁稚奉公。

もちろんここでは、将来的な仕事を得る
という目的もありますが・・・

このような子どもの育て方が、
江戸~大正にはありました。

詳しくは、落語を聞けば良いのですが・・・

「薮入り」

奉公先に3年、あずけていた亀吉(子ども)が
帰ってくる。

親は、子どもが帰ってきたら、
ともかく、温かいご飯でむかえたい。
好きなものをたくさん食べさせたい。
といろいろなことを考え巡らす。

子どもが帰ってくる。
立派になって・・・・

まずは風呂でも行ってらっしゃいと
子どもに言って送り出す。

母親の方が、子どもの荷物を見て、
財布を覗いてしまう。そこにはとんでもない大金が・・・

父親、母親とも、盗んできたのではと疑ってしまい、
亀吉が帰ってきて、大喧嘩になる・・・

ところが、話を聞けば、
店のねずみを捕まえたのを、
交番に持っていったら懸賞が当たったとのこと。

ご主人が預かっていたが、
薮入りで持たせてくれたもの。

オチは、
「これもご主人への(チュウ)のおかげだ」

これには、前振りで、当時、ねずみがたくさんいて、
公衆衛生上、捕獲することを奨励しており、
捕まえると一匹2銭で引き取ったり、
ペストが流行頃は、それにまた抽選で懸賞を
付けるなどがあったこと(懸賞金付きの駆除届出制度)
の話をしている。

 

感想:

この「薮入り」もそうですが、
落語の中では、親はダメなケースが多いですね!
とくに、ダメおやじ・・・・^^;

「初天神」や「真田小僧」なんかも
決まって、オヤジより子どもの方が
一枚も二枚も上手!

「負うた子に教えられ浅瀬を渡る」の世界です!

でもこれでいいんだと思います。
子どものほうが親よりしっかりしている。

子育てというより、子どもをどう見るのかなのかもしれません。

落語の世界では子どもは大人たちを
愉快に見事に振り回してくれます。

こんな愛すべき子供がいたらいいなーという
願いなのかもしれません(現実は違うのかも)

講演の中で、落語の歴史とか文化の話もされていましたが
「三遊亭円朝師匠は、おもしろおかしいばかりでなく、人情噺を確立した」とか
「落語のテーマには哀しみもある」というような金朝師匠の経験などにも
触れることができました。

話の中に出てきた『三遊亭金馬(三代目)師匠の落語「雛鍔」』

聞きましたがとても面白い、とくに、枕は興味深いものです!

孟母三遷の教え
子どもは住む場所の環境の影響を受けるので、教育のために
住まいを変えたという。教育における環境の大事をいう。

青少年育成委員会も地域(環境)という視点から
様々な取り組みをしている。

そんなことも気がつかせてくれるのが落語です!

 

最後は、金朝師匠による「桃太郎」

ある父親が、眠れないと訴える息子(東京では金坊)に昔話の『桃太郎』を話して寝かしつけようとするが、息子は「話を聞くことと寝ることは同時にできない」と理屈っぽく反論する。父親は困りつつ話を始めるが、「昔々……」と言えば「年号は?」、「あるところに……」と言えば「どこ?」、「おじいさんとおばあさんが……」と言えば「名前は?」といちいち聞くので、話がまったく進まない。

それでも強引に話を進めようとする父親に対し、息子は子供とは思えないほどに論理的かつ衒学的な『桃太郎』の解説を試みる。

最後は、父親の方が寝てしまい、

父親の寝顔を見た息子は「親なんてものは、罪がないな」。

こんな親子関係もいいなーというより
うちは、こちらに近い状況です^^;

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スポンサードリンク

コメントを残す