自分で意味付けすることが必然の時代

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自分で意味付けすることが必然の時代

あるブログでこんなことを言っている人がいました。

「私が今、20代であったら、この世界で生きて行くことはできていないのではないだろうか?」

この人は、年齢的に言うと65歳ぐらいの男性です。ボクは、この人のブログに共感して気に留めて読むことがあります。Aさんとします。

このAさん
「昔なら、本当の意味でのレールがあって、それに乗ることが生き方の指針だったが、今は、そのレールさえもなく、どこに向かうのかは、自分自身で決めなくてはいけない。知識が役に立つ時代でもなくなった」

ボクは、「その通り」とうなづいていました。ボクも「今、20代だったら、生きていないかもしれない」

なんでそうなったのか?ボクはこう思います。「インターネットですよね!」でも、インターネットって騒ぐけれど、ここ30年くらいの歴史しかないんです。本当にすごい状況になったのは、10年あまりぐらいではないでしょうか?それなのに、僕らの生活は一変してしまった。

「情報化社会」という言葉、むかーし聞きました。「これからは情報化社会」って・・・
今、僕がいるのが「情報化社会」なのでしょうか?情報化社会というのは、様々な情報に溢れた社会なのでしょう?情報の波、押し寄せてくる波に、飲まれそうです。

「今の子供たち、若者はこの状況にたじろいたりしないんですね!」
こんなに情報があって、ものがあふれているのに・・・

「どうやって選択しているんでしょうか?」

 

もしかしたら、戸惑っているのは、ボクだけなのかもしれない

「今の若者がどのようにこのたくさんある情報と付き合っているのか?」

「情報を受け取る側でなく、発信する側にどうやって立っているのだろう?」

どうも、若者から学ばなければいけない時代になっているようです。もう一つは自分で意味付けすること。これが大事だということに気が付きました。限られたものから選ぶことは簡単です。ある意味、取捨選択する作業で済みます。

「でも、こんなに、たくさんの情報があったら、取捨選択すらもできない」とボクは悲鳴を上げてます。

「生きていくのは、自分。自分の人生は、自分でしか選べない。」

ボクは、最後は、こう思いました。自分で意味付けしていくことでしか、この状況を打開できないと。例えば、働く意味、学ぶ意味、生きる意味ですら、周りの人の中に答えはありません。答えてくれようとしている人はいますが、人に自分の人生を預けてしまうようで、怖いです。

自分で、一つ一つのことに意味づけていくことの方が近道のようです。
これは、自分が今やってること、仕事、家庭生活、地域活動、などなど。
組織から与えられた目的ではなくて、自分で考えた意味付け・・・

「ボクは、ボク自身の目的で生きる。意味付けは自分がする」

情報とはこれからも付き合っていかなくてはいけませんが
どうやら

自分で意味付けすることが必然の時代

と今思っています。

もっとも、ボクが若いときに、この態度、生活習慣を身に着けていれば、このような状況にはないのかもしれません。恥ずかしい限りです。

だから、今の子供達は「自分で意味付けするような学び」を始めているのですね!

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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