落合第一小学校ふるさと室

ご訪問ありがとうございます。

新宿区立落合第一小学校が開校125周年。
本当におめでとうございます。

私も卒業生なんですが、先日、普段は開放していない
ふるさと室を周年記念とのことで中を見ることができました。

このふるさと室は100周年の時に作られたそうです。

展示内容は以下になります。

落合の地域の地域の移り変わりでは

落合のまちがどのように変わっていったのかを資料を通して学ぶことができます。

落合という場所は一万年以上も前から人がいた場所であること。
それは、目白遺跡(昭和25年)発掘で、明らかにされています。

また、江戸名所図会(複製)もあり、江戸時代の落合の風景、
蛍の名所であったことが記されています。

また、明治時代の地図(複製)も展示されていて、
その頃の戸数(世帯数)も合わせて表示されていました。

明治13年(1880年)

葛が谷村、上落合村、下落合村の表示。目白停車場。今ある道路がないなど。興味深い地図です。

 

明治42年1909年)

明治42年の地図、地図横に602戸の表示がありました。この地図の中央部分に落合第一小学校があり、すぐそばに、落合村役場の表示もありました。

落合第一小学校の開校は明治25年。学習院の表示も見えます(明治13年の地図にはない)。

明治31年・淀橋浄水場できる。
明治43年・高田馬場駅できる

http://simapapa.com/wp-content/uploads/2017/10/大正10年(1921年)1815戸.jpg

これは、大正10年の地図。大正4年に、池袋ー飯能間(武蔵野鉄道)が開業しています。この鉄道が西武池袋線の前身ですが、当時は貨物輸送で、池袋の次は、東長崎駅でした。

まだ、西武新宿線(前身)はないようです。

文化村を現在の地図に重ね合わせる

大正13年、落合村が「落合町」になります。目白文化村も同年からとなっています。

目白文化村  大正末から昭和初めにかけて、箱根土地株式会社が宅地を造成。  当時の市街地とは珍しく、地下電気、ガス、水道、完全下水、自動車出入り自由な道路、さらに、倶楽部、テニスコート等を設ける計画で宣伝したので大変な話題に!  文化村や周りには、高級役人、文士、学者、画家等が集まり、富裕な住宅地となりました。

昭和4年(1929年)

落合第二小学校(大正14年)が地図上に。

この地図での注目は、西武新宿線。
下落合駅は、1930年(昭和5年)7月3日 に現在の位置に。

 

昭和12年(1937年)

聖母病院(昭和6年)

この地図の注目は、聖母坂通り(旧八幡通り)。

落合第四小学校(昭和7年)
「商店も増え(目白通り)、川沿いの工場も増えている」

昭和12年、13年は妙正寺川が大氾濫したそうです。

地図的にはここまでですが、

空襲の様子を載せています。

貴重な証言です。

このあとは、現代までの様子(航空写真)を説明しています。

 

反対側は、生活風景

こんな資料も

卒業記念の写真。右下、昭和5年。

展示の中には、こんな表示。
大正2年に運動会が初めて開催されたんですね!

こちらは、昭和4年の地図。落合新聞社。

落合第一小学校の歴史

子どもの遊び・

この上の色紙は、80周年記念。私も持っています。

駆け足で、見学しましたが、興味深い資料がたくさんありました。

またの機会でぜひ、もう一度!

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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